三星堆遺跡が覆す「中国文明は黄河から」という常識
四川盆地の深部で眠っていた古蜀の遺跡・三星堆。そこから出土した青銅製の異形の像は、中原文明とは異なる独自の世界観を物語っている。
常識を揺るがした「異形の顔」
四川省の農村地帯。1980年代、灌漑工事の最中に土中から大量の青銅器が姿を現した。それが三星堆遺跡の本格的な発掘の始まりだったとされる。出土したものの中でも、とりわけ目を引いたのは人の顔を模した青銅製の仮面群だ。極端に大きく張り出した目、耳の位置まで裂けたような口、そして通常の人体比率をはるかに超えた目玉の突出——それらは「人」の造形でありながら、明らかに人ではないものを表現していた。
中国の歴史教育では長らく、文明の発祥は黄河流域であると教えられてきた。殷や周といった中原の王朝が「古代中国」の代名詞だった。ところが三星堆の遺物は、それと同じ時代かそれ以前に、四川盆地という全く異なる地で、独自の信仰と技術を持つ集団が繁栄していたことを示している。文字記録に残らなかったその集団は、後に「古蜀」と呼ばれるようになった。
中原文明との「交差点」と「断絶」
興味深いのは、出土品が完全な独自性だけで成り立っているわけではない点だ。青銅器の鋳造技術や一部の器形には、中原文明との接点を示す要素も見られるとされる。交易か、移住か、あるいは別の経路での文化伝播か——研究者の間でもまだ結論は出ていない。
一方で、三星堆には中原文明には見られない特徴もある。大量の象牙や、金で覆われた巨大な仮面、そして「神樹」と呼ばれる青銅製の樹木状の構造物がそれだ。これほどの規模と精度を持つ青銅樹は、他の遺跡では類例がほとんど確認されていない。宗教的な儀式に使われたと考えるのが自然だが、その具体的な意味は分かっていない。さらに、遺跡の「祭祀坑」と呼ばれる穴からは、多くの遺物が意図的に壊されて埋められた状態で発見されている。なぜ、誰が、何のためにそれを行ったのか——この「意図的な埋蔵」の謎もまた未解決のまま残る。
文字を持たなかった文明の「声」
古蜀の人々は文字記録をほとんど残さなかった。後代の中国文献に断片的に言及はあるものの、その実態は長い間、伝説の領域にとどまっていた。三星堆の発掘は、文字なき文明にも確かな「声」があったことを土の中から証明した。
2020年代に入っても新たな祭祀坑の発掘が続いており、その都度、新しい遺物が研究者を驚かせている。四川の大地の下にはまだ何が眠っているのか。そして古蜀の人々は、あの異形の青銅の顔に何を見ていたのか。問いは増えるばかりで、文明の全貌はまだ霧の中にある。