🏛️ 歴史の謎

三星堆遺跡が暴いた「古蜀」の正体——中原とは異なる青銅器文明の謎

四川盆地に栄えた古蜀文明。中原の殷王朝と同時代に存在しながら、まるで別の宇宙から来たかのような異形の遺物を残した。その正体はいまも謎のままだ。

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中原の常識をことごとく覆す遺跡

1986年、四川省の農村で偶然に発掘された二つの「祭祀坑」は、考古学の世界に衝撃を走らせた。三星堆遺跡から出土した青銅器群は、同時代の殷王朝の遺物とはまるで似ていない。縦に長く飛び出した目をもつ青銅製の仮面、高さ数メートルに達するという青銅製の神樹、そして黄金の仮面や黄金の杖。中原では見られない造形が、次々と地中から現れた。

殷が甲骨文字を刻み、礼器として鼎を鋳造していた時代、長江上流の四川盆地では、まったく異なる美的感覚と宗教観をもつ人々が、独自の国家を営んでいたとされる。文献に「蜀」として断片的に登場するこの集団が、三星堆の担い手と同一なのかどうかさえ、まだ確証はない。

神話と史書が語る「五人の王」

後世に編纂された地方史書『華陽国志』には、古蜀の王統として蚕叢・柏灌・魚鳧・杜宇・開明という五代の系譜が記されている。なかでも蚕叢は「縦目の人」と表現されており、三星堆の飛び出した目をもつ青銅仮面との関連を指摘する研究者も少なくない。

だが、これらの王がいつ生きたのか、実在した人物なのか神話上の存在なのか、はっきりしたことは分かっていない。『華陽国志』が書かれたのは4世紀ごろであり、三星堆の時代から千年以上の隔たりがある。史書の記述をそのまま遺跡の住人に結びつけるには慎重さが必要だ。

突然の終焉と、いまも続く問い

三星堆文明は、紀元前12世紀から前11世紀ごろを境に急速に衰退したとみられる。祭祀坑に納められた遺物の多くは意図的に焼かれ、あるいは壊されており、単純な衰退ではなく何らかの断絶があったことをうかがわせる。その後、金沙遺跡(現在の成都市内)に活動の中心が移った可能性が指摘されているが、両者の連続性もまだ研究途上だ。

古蜀はなぜ、あれほど独自の造形を生み出したのか。飛び出た目は何を象徴していたのか。黄金の杖を握っていたのは王なのか神官なのか。地中に埋められた膨大な宝物の意味は。問いは増えるばかりで、答えの多くはまだ土の下に眠っている。四川の大地は、まだすべてを語ろうとしていない。

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