朝廷が「鬼」と呼んだ男——飛騨に息づく両面宿儺の二つの顔
古代日本の正史に「邪悪な怪物」として記された両面宿儺。しかし飛騨の地では今も「民を救った英雄」として語り継がれている。
正史が描いた「異形の賊」
『日本書紀』には、仁徳天皇の時代——今から約1600年前——に飛騨国に棲む異形の存在が討伐されたと記されている。その名が両面宿儺(りょうめんすくな)。一つの胴体に顔が前後に二つあり、手足がそれぞれ四本あったとされる。朝廷はこの存在を「凶賊」と断じ、武将を派遣して滅ぼしたと伝える。記述は淡々としているが、その異形の描写は明らかに人間の域を逸脱している。「実在した人物を誇張して記録したのか、それとも別の何かを象徴しているのか」——研究者たちの解釈は今も割れたままだ。
飛騨に残る、もう一つの物語
ところが、舞台となった飛騨地方には、まったく異なる伝承が根強く残っている。地元では宿儺は民を苦しめた存在ではなく、人々を外敵や飢えから守り、農地を拓いた守護者として語られてきた。飛騨市周辺にはその名を冠した神社や地名が点在しており、信仰の対象として現在も大切にされている場所もある。朝廷の「公式記録」と、土地の人々が口伝えに守ってきた「民衆の記憶」——この二つは、同じ存在を指しながら、まるで正反対の評価を下している。
こうした「中央権力が怪物と呼んだ者が、地方では英雄である」という構図は、日本の古代史においてけっして珍しいことではない。ヤマト王権の支配に服さなかった地域の有力者や、独自の文化圏を持っていた集団が、のちに「鬼」や「土蜘蛛」として記録されたとする見方は、民俗学や古代史研究の中でも長く議論されてきた。
「実在」の痕跡と、解けない問い
両面宿儺が純粋な神話上の存在ではなく、実在した人物をモデルにしている可能性を示す状況証拠の一つが、飛騨に残る地理的・文化的な痕跡だ。具体的な遺構として確定されたものは現時点では見つかっていないが、地名や祭祀の形に「何かがあった」という記憶が刻まれているように見える。
異形の姿の描写についても諸説ある。双胴の人間という生物学的にあり得ない姿は、当時の朝廷側が「理解できない異質な他者」を誇張して記したものだという解釈もある。あるいは、何らかの儀礼的な装束や仮面をまとった宗教的指導者が、文字記録の過程で変容したという見方も否定できない。
結局のところ、両面宿儺が「誰であったか」「何であったか」を断言できる史料は存在しない。分かっているのは、この名が1600年の時を超えて消えずにいる事実だけだ。朝廷に刻まれた「怪物」の烙印と、飛騨の山々に残る「英雄」の記憶——どちらが本当の姿に近いのかを、私たちはまだ知らない。