116人が跡形もなく消えた島——ロアノーク植民地、400年の空白
1590年、補給船が戻ると入植者は一人もいなかった。残されたのは謎めいた文字だけ。アメリカ最古の失踪事件は今も未解決のままだ。
「帰ってくれば全員いる」——その約束は果たされなかった
1587年、イングランドから派遣された一団が北アメリカの島に上陸した。現在のノースカロライナ州にあたるロアノーク島だ。植民地建設を目指した彼らは100人を超える男女と子どもからなる集団で、その中にはアメリカ大陸で最初に記録されたヨーロッパ系の赤ちゃんも含まれていたとされる。
だが、物資が不足していた。遠征隊の長は補給のためにイングランドへ引き返すことになり、残された人々に「必ず戻る」と約束して島を後にした。問題は、帰還が3年も先になってしまったことだ。スペインとの戦争(いわゆるアルマダの海戦の余波)により、補給船はなかなか出航できなかった。
残されたのは「CROATOAN」の文字だけ
1590年、ようやく島に戻ると、集落は静まり返っていた。建物の多くは解体され、人の気配は一切ない。丁寧に探したところ、柱に「CROATOAN」と、そして別の木に「CRO」と刻まれた文字が見つかった。それだけだった。血の痕も、遺体も、争いの跡も確認されていない。
CROATOAN とは、近隣に住んでいたネイティブアメリカンの集団の名前、あるいは彼らが暮らす島の名前だとされている。これが「助けを求めるメッセージ」なのか、「そこへ移動した」という意味なのか、はたまた全く別の意図があったのかは分かっていない。その後の調査で該当の島を調べる試みもあったが、嵐などの影響で十分な捜索はできなかったとされる。
400年後も続く「どこへ行ったのか」という問い
現在まで、さまざまな仮説が唱えられてきた。ネイティブアメリカンの集落に合流し、文化的に同化したという説は比較的有力視されている。近隣の部族の末裔とされる人々の中にヨーロッパ系の特徴が見られるという記録が後世に残っており、これを根拠とする研究者もいる。一方、飢えや疫病、あるいは他の先住民集団との衝突によって集団が消滅したという説も否定されていない。
興味深いのは、遺体や骨などの物的証拠がほとんど見つかっていない点だ。これほどの人数が跡形もなく消えるには、何らかの集団的な意思決定か、あるいは外からの大きな力が働いたと考えるのが自然ではないか。近年はDNA分析や考古学的発掘によって少しずつ手がかりが集まっているとも言われるが、決定的な答えにはまだ届いていない。
「CROATOAN」という一語に込められた意味が解読される日は来るのだろうか。500年近く前に島を歩いた人々の声は、今もロアノークの森の奥に眠っているのかもしれない。