🏕️ アウトドアの怪・遭難と生還

山を歩く者だけが聞く「音」——マタギ伝承が示す山の境界線

猟師やマタギが山中で体験した怪異を集めた実話集『山怪』。その証言に繰り返し登場するのは、「音」にまつわる不思議な体験だった。

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山で生きる者たちだけが知っている話

深い山の中で長年生業を営んできたマタギや猟師たちは、いわゆる「怪談好き」ではない。彼らは山を職場とし、命がけで動物と向き合ってきたプロフェッショナルだ。そんな人々が「あれは何だったのか」と首をかしげる体験を、ジャーナリストの田中康弘氏が長年かけて採集・記録したのが実話集『山怪』シリーズである。

特筆すべきは、証言者たちの語り口だ。彼らは怪談として面白おかしく話すのではなく、淡々と、まるで天気の話をするように語るという。「あのとき確かにこうだった」という静かな確信が、かえって読む者の背筋を冷やす。

繰り返し登場する「音」の怪異

『山怪』に収められた証言を分類すると、ある種のパターンが浮かび上がる。中でも際立って多いのが「音」にまつわる体験だ。

たとえば、誰もいないはずの山中から人の声や足音が聞こえる、という証言。それも一度きりではなく、複数の地域・複数の世代の猟師から、似通った描写が繰り返し報告されている。「呼ばれた気がして近づいたが何もなかった」「仲間が呼んでいると思ったら、その仲間は全く別の場所にいた」——そういった話が、驚くほど地域をまたいで共通している。

視覚的な怪異(何かが見えた)よりも、聴覚的な体験の証言が多い点は興味深い。山中では霧や木々によって視界が制限される一方、音は遠くまで届く。人間が音に対して強く反応するよう適応してきた環境を考えると、「山の怪異が音として現れやすい」という傾向には、何らかの必然があるようにも思える。

山には「こちら側」と「あちら側」がある

田中氏の取材を通じて浮かび上がるもう一つのテーマは、山の持つ「境界」の感覚だ。マタギの文化には古来、山に入る際の作法や禁忌が細かく定められている。それは単なる迷信ではなく、山という空間が「日常とは別のルールが働く場所」であるという認識に基づいているのかもしれない。

証言者たちが怪異を体験するのは、多くの場合「深入りしすぎたとき」か「いつもと違う行動をとったとき」とされる。山を熟知した者ほど、その境界を敏感に感じ取っているように見える。

都市に生きる私たちは、山をレジャーや観光の場として捉えがちだ。しかし長く山と向き合ってきた人々の証言は、山には私たちが知らない「別の顔」があると静かに訴えている。あなたが次に山道を歩くとき、木々の間から届く「音」に、果たして耳を澄ませることができるだろうか。

取材・出典

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